WPTカンボジア(3)

カンボジア

「今、カンボジアにいるんだけどさ。なんか見るべき建築物とかあったりする?」と友人の凄腕の建築士に連絡すると「普通にアンコールワットじゃない。カンボジアなら、ヴァン・モリヴァンってのが有名建築家。プノンペンならセントラルマーケットかなぁ」と秒で返事が返ってくる。持つべきものはマニアな友人だ。ありがたい。メモメモ。

今日もオマハに出場するために、昼の試合は見送り、16時まで時間が空いているので、観光でもするつもり。カンボジアはたぶん、そうそう来ることがないと思うんだよね。

ホテルの近くの中華料理屋で刀削麵を食べていると、クライアントから電話がかかってきた。20分ほど話し込むと、麺が伸びた。

トゥクトゥクに乗り、まずはトゥール・スレン虐殺犯罪博物館に足を運ぶ。2年9か月の間に14,000~20,000人が収容され、そのうち生還できたのは8人だけ。当時は存在そのものが秘密のため公式名称は無く、通称S21と呼ばれていた場所である。

ダークツーリズムが好きなわけではないのだが、カンボジアを題材とした著作や映画など、クメールルージュに関することが大半なため、ここは見ておきたかった場所である。

入場料の10ドルを払うと中に入る(コロナ前は5ドルだったらしい)。入場者の9割が白人である。年齢はバラバラだけど、リタイアした老人のグループが目立つ。ほぼ全員がオーディオガイド(10ドル)を首からぶら下げているか、現地ガイドに案内してもらっている。

僕と現地の学生だけが手ぶら。白人の教養に関する貪欲さは見習わねばなぁ、うう、自分だけオーディオガイドがなくてなんか恥ずかしいよぉ。太った身体を震わせながら、同調圧力に負けそうになっていたら、仕事のパートナーから電話。

こそこそと裏手の駐車場に移動して、パートナーと仕事の話を30分。そのあと、その内容を部下に連絡するため電話し、その時間も30分。気が付けば、次の予定の時間だ。僕は何しにここに来たんだ・・・。

次はセントラルマーケットだ。セントラルマーケットはフランス統治時代の1937年に建築されたアールデコ調の建造物らしい。どこかの植民地になっていた時の歴史的遺物は、どこか惹かれるものがある。マカオの中華とポルトガルが混ざったあの感じとかさ。

トゥクトゥクから降りて、ドーム調の建物をパシャパシャと写真を撮っていると、携帯が震える。昼に電話していたクライアントだ・・・。仕事中ということで、無視すれば良いのだろうが、こういうのは案外ほうっておけない小心者なのである。

セントラルマーケットを目の前にして、1時間突っ立って電話(途中、犬に吠えられる)。試合は16時から開始で、今は15時45分である。僕は本当にここに何をしに来たんだろう・・・。FXで全てを溶かした人のような顔をしながら、トゥクトゥクに乗りなおす。

さあ、本日の試合は、PLO Hyper Turboのイベント。まさかの10分でレベルが上がる時短イベントだ。参加費は200ドルと本大会のサテライト以外で一番安い。

昨日のインマネも「Turbo PLO Bounty」だったし、実は前回のJOPT大阪の「PLO Turbo」も僕が優勝している(なんと元KAT-TUNの田口さんをも倒したんだぜ)。おっしゃー!ターボ(運ゲー)なら任せろぉ!!!!!!!!!!!!!

参加して10分で飛んだ。

あーあ。観光地で仕事して、急いでやってきてこの有様ですよ。最近「もりゃ~まはPLO上手だなぁ」「PLOで打倒もりゃーまさん!」と京都River(祇園のアミューズメント)でチヤホヤされてていい気になっていたので、何か勘違いしていたのかもしれない。

猫背になりながら、太った身体を小さくして、会場の隅っこで一人ため息をつく。財布を確かめると、昨日獲得した賞金があるではないか。

獲得した賞金でリエントリーを始めたら結局手元に何も残らない。「参加費は計画的に」とアイフルだって注意勧告している。・・・でも、ちょっとだけいいよね。

リエントリーして10分で飛んだ。

この後の僕の記憶がなくなっており、ブログ用にいつもメモを残しているのだが、そのメモの存在も確認できない。事実としてあるのは、なぜか、テーブルでオマハをプレイしている僕がいるということだ。

この後は変なバッドビートを喰らうことなく順調に勝ち進み、ファイナルテーブルまでたどり着く。昨日いたメンツは一人もおらず、レベルも昨日より低い。まあ、10分だから運の要素がかなり大きいから当たり前なのだが、なんとなく優勝も見える(昨日は明らかにチップ差と実力差がある人がチラホラいた)。

一人、また一人と飛んでいき、残り4人となる。ここに来て馬鹿ツキを始めたのっそりした男が半分以上のチップを持っている。僕と残り2人は同じくらいでそれぞれ20bb以下だ。

4位が約887ドル。3位が1,260ドル。2位が2,054ドルとここら辺から賞金のカーブが急になる。ショートが僕を含め3人いるため、じっとしていれば確実に3位までは駒を進められそうだ。下手すれば、チップリのっそり男が2人ともやっつけて2位もありえる。

しかし、ここでは賞金を獲得するよりもトロフィー獲得を目指したい。積極的に攻める姿勢を崩さないで行くしかないー!

ということで、4位になりました。

しかも、のっそり男にやられたので、残り二人はさらに賞金かトロフィーかの選択が厳しく迫られるようになっただろうに(すまんな)。

いやー、正直ここはチャンスがあっただけに悔しい。トロフィー欲しかったなー。3回のエントリーで600ドル使ったので、ギリギリプラスである。この日は優勝できずに悔しい思いが身体に充満していたので、ビールを買い込み、飲んだくれて寝たことは言うまでもないであろう。

次の日はPLOはまったくハンドが絡まない。参加費が800ドルでこれが僕のメインみたいなものなのに、1時間に1回しかチップを獲得できないくらいひどかった。

前日との落差と連日の疲労が溜まってか、明らかにストレートが出来ている相手に、2ペア&フラッシュドローで突っ込んで、引けずにさくっと負ける。リエントリーはさすがに出来ず、すごすごとホテルに帰って、以下略。

この後の日程も二つほど安めのトーナメントに出場したが、これといった見せどころもなく、残り半分くらいの順位で両方とも負ける。

会場には、世界のヨコサワ氏を始めとした、じぇいそる氏などその他日本人有名プレーヤーがたくさん来ていたらしい。一人だけ有名な方と同席できたが、いつも通り、一言も喋らずだった。

カンボジア自体はかなり過ごしやすく、しかも人が好い人が多かった。コンビニで手で商品を持っているとわざわざカゴを持ってきてくれたりとか、ご飯を食べるときなどもわりと皆親切だ。なんとかしてあげようって言うのが伝わってくる。

乾季というベストシーズンに来たからかもしれないが、気候も最高だった。毎日が天気よく、気持ちの良い日々の連続だった。これだっていうカンボジア料理はなかったが、今回は中華街にいたのが原因なので、いつかいろいろトライしてみたい。

試合後、改めてセントラルマーケットや近所の屋台などを冷やかす。

ベトナムが近いからか、フォーを食べるとき枝付きパクチーがついてくる。助かる。

遠くなけりゃまた来たい国である。いつか直行便ができればいいな。遠い。

さて、これを書いてる時点で明日が帰国日である。夜の8時の飛行機に乗って、関空に朝の9時半に到着。そして、13時半に滋賀県のお客さんの所に訪問予定・・・はたして飛行機はちゃんと飛ぶのか、仕事に間に合うのか!?これ、レクリェーションプレーヤーの辛いところね。

最近はポーカー記録というよりもただの旅行記になってきている気もしないではないが・・・それでも、ここまで読んでくれてありがとうございます。また、京都や国内大型大会などでお会いした時はよろしくお願いします~。